2015年07月15日

樋堀白山神社のご紹介(春日部市樋堀地区)

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閑静な住宅街にあります。もともと昔は周囲は田んぼ地帯でしたが、開発の波に乗って住宅がたくさん出来ました。神社の左側には小さなため池があり、その隣に田んぼを挟んで川がありそれがめがね橋に続いていました。川には、川エビやフナがたくさん取れて調理して食べました。水の中にはヨシキリの巣がたくさんありました。境内にはニッキの木が2本ほどあり皮をむくといい香りがしていました。あの頃がなつかしいなー

樋堀白山神社由緒
天台宗の山伏が「白山権現」を布教「権現」は山伏の神です。小淵観音院・不動院は祈祷をする。墓地は持たない山伏でした。厄除大師が古利根川を見下ろすように建つ場所には明治初期まで白雲山・正福寺があり、百万遍の阿弥陀様と隣に白山様が祀られていたそうです。

舟を操る一族の神 
姫宮五所神社・由緒書は「熊野三山・日吉・白山の主が出現」と伝え、幸手権現堂は「熊野・若宮・白山の権現」を祀り妻沼から群馬県新田に白山様が多い。「岩松氏」は新田や足利と縁故で栄え、妻沼から船で、鎌倉に物資を送っていたらしいのです。昔の川は、鉄道に匹敵します。上柳では秩父から船で運んだ、青い石碑が大量に出ています。

新田義貞との縁
関東武士は農園を営む自営業者です。縁故や信仰で結ばれていました。春日部は、新田義貞軍に味方し、「鎌倉幕府」を倒しています。白山様を見ると、岩松氏が新田と春日部を結びつけたか、と思われます。春日部 重行の墳丘は、今も寺町の「最勝院」にあり、その末寺が「正福寺」です。

ご縁から神を祀り、地域の魂や方位の鎮守の神となりました。遠い祖先や天と、縁の場所です。

400年前の樋堀は僅か51石・砂地の村でした。樋堀に桶を堀り、幸手から樋籠までの沼を排水し新しいムラが幾つも出来ます。隣の倉松公園は120年前の排水路の跡、上流の大口橋は明治時代の「赤煉瓦」で出来た、めがね橋です。「樋堀の提案」で新しい水路を通して名残です。

明治政府は幾度か、地域の神社の大合併を命じましたが、皆様の祖先は書類だけ出し、屋根と柱だけの神輿を担いで、新しい水の守護として統治に祀りました。
祖先は、命令が無いと動けない人ではなく、庶民の力が日本の近代化させました。大きな事件より、普通の人の、努力・考え方から多く学んできたのです。

以上の内容は地元で伝えられている資料に基づき概略をお知らせしています。私も調べてみましたが詳しい文献がありませんでした。
posted by やまちゃん at 14:30| 埼玉 ☔| Comment(0) | 樋堀地区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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